コロナ自粛期間の中、我が家で1つ大きく変わったことがあります。
それは私の仕事場所です。
以前はノートパソコンをリビングで広げていることが圧倒的に多かったのですが、自粛期間中は家族がいるのでとても無理。
いろいろと考えあぐね、和室の片隅にテーブルを寄せて窓に向かって仕事をすることにしてみました。
そうしたら思いのほかこれが快適で。
本当に私はこの思いつきに自粛期間中大きく救われたと思っています。
一定の独立性も確保できるし、かといって閉鎖的でもない。
苦肉の策でしたが思いがけず良い居場所が見つかりました。
そしてこの時、意外と大きかったのが、コップに刺したグリーンの存在でした。
これが1つあるだけで、このコーナーの雰囲気が本当に一変するのです。
目に入るたびに、植物からの穏やかな励ましを感じて気持ちが和みます。
コップの水を毎日替えることがけっこうキーポイントだということにも気づきました。
根がズボラな私は、別に毎日替えなくても枯れたりしないしー、などと思っていました。
でもね、植物からプラスのエネルギーを受け取るためには、どうやらただ置きっ放しではダメなのです。
こちらからも注意を向け、実際に水を取り替えるという働きかけがないと、植物との生き生きとしたつながりは、すぐに薄れてしまいます。
なんだか怪しげにも聞こえるかもしれませんが、でも水をこまめに替えるのと替えないのとでは、何かが明らかに違うんですよ。
パッと見では違いはなくても、よく見ると水が澄んでいたり、コップに水滴がついていたり。
手をかけているからこそ、毎日支えになってもらえるんだなぁと思いました。
植物の水を毎日替えるのは、そんなに手間のかかることではありません。
でも、それじゃあ簡単なことかというと、決してそうではないんですよね。
簡単なことを当たり前のように続けるのって、実はむずかしいです。
何だか禅問答みたいになってきましたが、これってけっこう本質的かも。
簡単でもありむずかしくもある、植物の水替え。
え、どっちなの?
どっちでもある。
もし簡単なことのむずかしさに気づけば、物事の奥深さを感じ取れます。
逆にむずかしいことの簡単さに目を向ければ、そこには希望が生まれます。
植物の水を毎日替えること(替えようと心がけること)は、本質に近づくための格好のレッスンにもなると思っています。
今日の写真、オシャレですね〜!
小さいことでも続けることって簡単だけど難しい…
ほんとにそうですね。
小さいことほどないがしろにしてしまいますもんね。
るる子さんは憧れのお姉さん的存在です。
もう少ししたら私も花や緑を飾りたいなーなんて夢を見せてもらっています。
2歳の男の子が、目を離した隙にお弁当を食べてしまって作り直すことが無くなるぐらい大きくなってくれたら…(^^;)
えぐちけいさん
いつも見て下さってありがとうございます。
写真のこと、そして憧れだなんて、おほめいただき嬉しいです。
2歳と言えば、ある意味いちばん大変な時期ですよね。
もちろんどの年齢も、それぞれの大変さがありますが、
いちばん目が離せないのが2歳くらいのように思います(可愛いけど・・・!)。
今はお花を飾っても、花瓶が倒される心配が先に立ちますよね。
私は子どもが2歳の頃は、花を夢見る余裕さえなかった気がします。
でも必ず落ち着いて過ごせる時がきます^^。
更新ゆっくりなんですが、また時々ブログを覗きにきて下さいね!