スッキリと片づいて何も置かれてないテーブル。
通り道が確保され、スムーズに行き来できる床。
当たり前のようだけれど、決して簡単に手に入るとは言えないものです。
そのかわりそれがあれば、励まされ心が落ち着いて、元気が出るのですが。
そのことに長い間気づいていませんでした。
片づけも掃除も苦手だった私に取って、ゴチャゴチャの光景の方がむしろ当たり前でした。
子どもも小さいし、しょうがないかと諦めてもいました。
ご飯は待ったなしだし、洗濯をサボれば着るものに即影響が出ます。
その点片づけや掃除を少しくらい溜め込んでも、とりあえずは生きていける。
なのでついつい後回しにしがちでした。
常に視界に入る山積みのモノたちや、いちいち跨いだりよけたりしないと家の中を歩けない不便さに気づくこともなく。
かつてそんな私だったからこそ、整った部屋のありがたさが今よくわかります。
私ね、朝起きて来たときにテーブルがスッキリしてると、本気で「ありがとう~~!」って言いたくなるんです。
前の晩バタバタしながらも、もう一息、と頑張って片づけた自分に。
あるいはテーブルそのものに。
整った部屋には人を癒す力があると感じたのは、数年前父が亡くなった直後に母が入院してしまった時期。
何から何まで大変すぎて、生活もしっちゃかめっちゃかでした。
部屋をたまたま片づけて出かけた日、帰宅してリビングに足を踏み入れた瞬間の深い安堵感を、今でも思い出します。
自分が手をかけて整えた部屋から、愛を受け取ることができる。
そのことに、心からありがとう、なのです。