先日来、納戸の片づけをしていました。
年内に滑り込みで申し込みだけは済ませていた粗大ゴミの収集。
年末に出したはずなのに、また増えていた段ボール。
家族には特に言わずにやっていましたが(このあたり成長したかも。前は言いふらして褒めてもらってた(^.^))、夫が気づいてくれました。
「いつのまにかずいぶんきれいになったね」と。
ところがですよ。
私、そのガランとした納戸を見ても、あんまり嬉しくないんです。
それどころか、頭に浮かぶ言葉と言えば「寂しい」「心細い」。
スッキリした空間を見て、気分がよくなるどころか、寒々しいような思いがしてしまったのです。
それで逆にわかりました。
今の私、よほど弱っているんだなーってこと。
年末年始を挟んで、調子が悪くて悪くて、毎日を送るのが精一杯な感じでした。
ん?過去形にしていいのか、よくわかりませんが、少なくとも今はブログを書こうとしているので、多少回復してきたかもしれません。
ともかく、最低限のことをこなしつつ、生活の質を上げるためのオプション部分は先送りの日々でした。
どう頑張ってみても力が出ないのです。
まあそんな時もありますよね。
で、弱っている時の自分がモノに寄りかかろうとしているんだってことにも気づきました。
スッキリした空間を味わうためには、それなりの体力がいるんだなー。
せっかく自分でモノの少ない清々しい空間を作ったというのに、拒否しようとする気持ちが働くことに、我ながら驚きました。
ゴミ屋敷から抜け出せくなる心理が、ふっとわかるような気さえしたりして。
逆に言うと、それだけ空間が人間に与える影響は大きいということですよね。
整った空間は、自分の意思やら好みとは関係なく、「スッキリとした厳しさ」を醸し出すのです。自動的に。
だから自分でその状態を作っておきながら、ついていけなくて戸惑うなんてことも起きるのです。
そういえば玄関掃除についても、同じような思いがありました。
玄関掃除を続けていると、自分の意図とは関係なく、勝手に仕事運やら社交運がどんどん開けていく感覚がありました。
面白くて仕方ない一方で、後ろ向きな自分もいて、展開のスピードについていけず、内心「ちょっと待ってー」と叫びたくなった日もありました。
つまり狙っていたわけではなく、玄関掃除をしているだけで、自然にそうなっていくんです。
片づけも掃除も、やっていると嫌でもいろんな効果が出てしまうから、甘く見ない方がいいってことなのかもねえ。ふふふ。
納戸を片づけてしまったのはしょうがないので、寂しいとか言ってないで、そっちに合わせられるよう自分をチューニングしていきますー。