前回の記事で、100日掃除の経験は「種火」みたいなもの、と書き、またトイレ掃除に関してはもう完全に習慣化したけれど、玄関掃除はあと一息だと思うって書きました。
続きをすぐにアップする予定だったのに、遅くなってしまってすみません!
続きが気になる〜というお問い合わせいただいてしまい、恐縮しています。楽しみにして下さってありがとうございます😊
では、続きでーす。
なぜ玄関掃除はあと一息かというとね。
まずトイレ掃除に関しては、義務だからとか、カウントしたいから、という動機ではなく、やらないと気持ち悪いから掃除しています。
1日サボってしまうと、次の日に床を拭いた時の汚れの取れ方が違うし、下手すると臭いが気になったりすることも。
そういう違和感が原動力になっていると、頑張らなくても続くのです。
トイレ掃除が習慣化する前は、こうではありませんでした。
不規則にしか掃除していなかったので、掃除の間隔と汚れ具合の関係なども把握していませんでした。
だから掃除をした時としない時の違いがそれほどはっきりわからず、余計掃除から自分を遠ざけてい
たように思います。
玄関については、汚れが目立ちにくい素材ということもあり、少なくともパッと見では掃除の効果がよくわかりません。
1日サボると汚れがたまるというのも正直実感していなくて。
だからまだ自分の中に掃除が定着してないのかなぁと思うのです。
ただね、最近一つ気づいたことがあります。
以前玄関掃除がなかなか続かなかった時、私あることを思いついたんです。
それは玄関掃除ではなく「玄関の世話」と思えばやる気が出るかも~というアイデア。
掃除はやらなくてもそれほど影響ないけど、何かのお世話だったらコンスタントに続けないとマズい感じがしますよね。
対象への愛も感じるし♪
これはある程度の効果はありました。
「玄関の世話~」と思いながら掃除している方が、たしかに多少テンションも上がりました。
が、それでも100日連続というアイデアに比べると弱くて、やはり途中で続かなくなってしまったのでした。
でもこの頃、姿勢を低くして玄関の三和土を拭いていると、ひしひしと「たしかにこれは玄関の世話だ」という感覚がするのです。
無理に「お世話なんだから」と言い聞かせなくても、愛情込めて手をかけたい感覚。
ここまで来たら、もうそろそろ大丈夫なんじゃないかなって自分では思っているんです。
頭で「やらなきゃ」と考えるのではなく、当たり前に体が動くようになれば、ホンモノの習慣と言えそうですよね。