こんにちは。片づけペースメーカー鈴木るる子です。
あの大震災から今日でちょうど1年ですね。
1年前に日本中を覆っていたあの悲痛な雰囲気を、昨日のことのように思い出します。
年末に出席したご法事で、お坊さんがおっしゃっていました。
今ここに座っている我々が生きているのは、「想定外」なのだと。
あの地震や津波が来ることを想定して、あらかじめ避難していた人など誰もいません。
生きようと想定したから生きられたわけではないのです。
今日という日が何事もなく平穏に過ぎただけで、奇跡なのですね。
昨日の記事にパープルさんがつけて下さったコメントを読んで、また更に思いを深くしました。
散らかるのは生きているからこそ。
何かやりたいことがあるから散らかるのです。
生きているから、散らかったり、片づいたりするのです。
震災で命を落とした方々の暮らしは、時計が止まったままです。
子どもがまた散らかした~なんて、うんざりできるのは、実はとても尊いことなのですね。
被災地以外に住む私たちは、本当のところ何もできません。
でも一つだけできることがあるとすれば、たぶんそれは「忘れないこと」。
被災地に思いを寄せ続けることも、日々の生活に感謝することも、「忘れない」から出発するのだと思います。