美しいもの、可愛いもの、芸術性の高いもの。
生活必需品ではないけれど、そういうものが本当に大事だなと思う今日この頃です。
目の前の現実だけに振り回されていると、心が窒息しそうになる時があります。
先日お友だちに誘われ「ロシアの装丁と装画の世界展」に行ってきました。
ポスターを見たときには、「んー、けっこう好きかも」くらいのノリでしたが、行ってみたら予想以上に楽しかった!
会場は国立(くにたち)のmokujiさんというカフェだったのですが、ランチがまた美味しくて~♪
心のこもったヘルシーなお料理を楽しむことができました。
展示には絵本もたくさん含まれていて、ロシアの絵本の美しさと質の高さに夢中になりました。
でね、ロシア語だから読めないじゃない?
それがよかったみたいなんです。
絵を見ながらストーリーを想像したり、純粋に絵を楽しんだりすることができて。
これって大人が日本語の絵本を見る時には不可能な状態なんですよ。
だってつい読んじゃうじゃないですか。
読めるものを、読まないっていうのは難しいことです。
だから「読めない」って実はとっても貴重なことなんですよ。
私は地元の図書館や小学校で、読み聞かせや昔話の語りのボランティアをしています。
図書館のボランティアでは研修もあるのですが、この秋の研修で印象に残ったお話があります。
講師の先生曰く、
「皆さんは子どもたちのために絵本を選んだり、読み聞かせの練習をしていると思いますが、自分で楽しんで絵本を読む機会はどのくらいありますか?」
私を含めて、周りの受講生たちはみんなドキッとした表情でした。
そうなんですよね。
子どもたちに絵本を手渡したいという思いを持つのはもちろん素敵なこと。
ただそのことに熱中するあまり、自分が絵本を楽しもうという気持ちを置き去りにしていたかも。
絵本を手に取る時はいつも「これは読み聞かせに向くかな?」というフィルターを通して読んでばかりいたような気がします。
ところが読めないロシア語の絵本を眺めていると、お話の中味が気になってあれこれ想像力を働かせたり、ひたすら絵の美しさに見入ったり。
絵本をただただ楽しむ、というこの大切な気持ちを思い出すことができました。
そして字が読めないから、絵を見るしかない子どもたちにとって、質の高い絵を提供することがいかに大切かということも、よくわかりました。
今までは頭でしか理解していなかったみたい。
子どもって絵を見るしかないので、それはそれは一生懸命見てしまうのですよね。
だからこそ本当によいものに触れてほしいなと思うのです。
この展覧会、残念ながらもう終わってしまいました。
感じたことを言葉にするのに時間がかかってしまうワタクシ、間に合うタイミングでお知らせできなくてごめんなさい。
でもmokujiさんは、展覧会やっていない時であっても、とっても居心地のよい素敵なお店。
今後もまた別の企画もありそうです。ぜひ足を運んでみて下さい。