先週開催された八祥会。
参加の女子3人は、みんな思春期の子どもを持つ母でもあります。
今回は何か子どものことが具体的に話題に出たわけではないのですが、何かの拍子に「子育て」という言葉がチラッと出たのです。
実際に言葉になったのはせいぜい
「ああ。子育て、ねえ…」
程度のつぶやきだったと思います。
その時テーブルに流れた、短いけれども何とも言えないふかーい沈黙。
言葉にはならなくても、何かを一瞬で了解し合ったかのような感覚がありました。
そこには思春期の子育て というキーワードに込められた、一言では表現し切れない複雑な思いがにじみ出ていました。
それぞれが、子どもとの日々の関わりの中で、いろんな思いに翻弄され、どうにかこうにか自分を立て直し、乗り切っているわけですよ。
1つ1つのエピソードはお互いわからなくても、それはそれはまあ、いろいろあるんだろうなと容易に想像がつく。
口に出さなくても、何かを共有している感じ。
深追いすることなく、次の瞬間には皆で弾けるように笑って、次の話題に移っていきましたが、私にとっては忘れがたい場面でした。
1つ前の記事で芍薬のことを書きました。
毎年この時期になると、芍薬を買うのが楽しみで、今年も張り切って買いました。
私がテーブルに置いて愛でているのをその思春期の娘が見て、「きれいだねー」と話しかけてきました。
なんでだろう~去年までは特に興味を示してなかったのに。
それだけで天にも昇るほど嬉しくなってしまう私でした。
本当にまあ難しいお年頃で、普段は激しい言葉のやり取りになることもある娘と私。
その日は穏やかに、3輪のうち1つがテーブル蕾なのを眺めながら「これちゃんと開くかねえ?」なんて一緒に心配したりして。
そんな何気ない会話がとてもありがたく、愛おしい時間でした。
いろいろあるけど、本当にいろいろありすぎるけど。
芍薬のおかげで、こんなひと時を持つこともできるんだと思うと、もうね花に感謝しかないです(笑)。
日常の中にこんなささやかな味方を見つけつつ、どうにかこうにか思春期の母やっております。